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【雑談力/百田尚樹】要約読書メモ [本/歴史地政]


雑談力 (PHP新書)

雑談力 (PHP新書)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/10/15
  • メディア: 新書


【雑談力/百田尚樹/16年10月初版】
もともとテレビの構成作家だった百田尚樹氏。
いまや超売れっ子小説家です。そして雑談の名手。
書くより喋る方が100倍好きだそうです。

PHPの編集者が「いつも話が面白い。面白い話をする秘訣を書いてくれ」と。
話し方のテクニック、話題の選び方、話すときに気をつけること、なんかが書かれてます。
とはいえハウツー本というより、ネタの宝庫でした。やっぱサービス精神が旺盛です。
それと彼が話すと、池上さんのように話がわかりやすい。

たとえば南京大虐殺。彼の文章をさらに削ってますが骨子は以下。


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南京大虐殺はなかった


『南京大虐殺は1937年12月に日本軍が南京を占領した直後から、
6週間にわたって南京市民を虐殺した事件ということになっている。

この事件は当時、蒋介石が子飼いのアメリカ人ジャーナリストを使って盛んに宣伝した。
南京大虐殺を肯定する人は彼らの報道を証拠として挙げるが、
その報道をしたのは一部のアメリカ人記者だけ。

当時南京には各国の特派員が大勢いたが、この事件を報道した記者はいない。
30万人の大虐殺となれば、世界中でニュースになったはず。

同じころ南京政府が調べた人口調査によれば、占領される直前の南京市民は20万人。
これは公式記録として残っている数字。20万人しかいないのにどうやって30万人殺せるのか。

また日本軍が占領してから1か月後には、南京市民は25万人に増えている。
日本軍が仮に1万人も殺したら、住民は蜘蛛の子を散らすように街から逃げているはず。
南京市民が増えたのは、日本軍が来て街に治安が戻ったから。

もちろん一部には殺人事件や強姦事件はあったかもしれないが、
それをもって大虐殺があったといえるのか。

30万人の大虐殺というには、それなりの物的証拠が必要。
しかし今日に至るまでそれらは全く出てこない。

ナチスドイツのユダヤ人虐殺は、おびただしい物的証拠が多数残っている。
でも南京大虐殺には伝聞証拠以外に物的証拠はないし、何の検証も行われていない。
証拠の大半は、別事件の盗用ないし合成によるねつ造であることが証明されている。

そもそも日中戦争は8年も行われているのに、
南京市以外の大虐殺の話はない。8年間の戦争でわずか6週間だけ、
日本人が狂ったように中国人を虐殺したというのか。

東京裁判でも1人の捕虜を殺害しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が、
1000人以上もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、
松井大将1人しか罪を問われていない。

規模の大きさからすれば、本来なら何千人も処刑されていなければおかしい。
後に蒋介石は、松井大将に対して「申し訳ないことをした」と語っている。

東京裁判で亡霊のごとく浮かび上がった南京大虐殺は、それ以降消えてしまう。
再び姿を現すのは四半世紀後。

1971年朝日新聞の本田勝一記者が「中国の旅」という連載を開始し、
そこで南京大虐殺のことを取り上げ、日本人がいかに残虐なことをしたか、
ということをデタラメを交えながら書いたことがきっかけ。

この連載が始まったときサヨク系ジャーナリズムが、日本人の罪を糾弾する記事を組み始める。
この日本の動きを見た中国政府は「外交カードに使える」と判断し、
これ以降執拗に日本政府を非難するようになった。

本田勝一の本が出るまで、毛沢東も周恩来も、中国政府も一度たりとも問題にしなかったのに。
「なかったこと」を証明するのは「悪魔の証明」といわれ極めて難しい。
ここに述べたことも「なかったこと」の証明にはならない。
ただ普通に考えれば、なかったと考えるのが自然だ』


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続いて「従軍慰安婦」

従軍慰安婦は単に貧困から生まれた売春婦


『これもデマから生まれた。発信元は同じく朝日新聞。
じつは戦後40年近く、日本と韓国の間に「慰安婦問題」は存在しなかった。
これが世に知られるのは1983年、朝日新聞が吉田清治という男の証言を記事にしてから。

衝撃的な内容。泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、
アフリカの奴隷狩りのように、トラックに積み込んで慰安婦にしたという。

朝日新聞はこれ以降、朝鮮人女性を慰安婦にしたという記事を執拗に書く。
吉田証言だけで16回も記事にしている。

ちなみに吉田証言は、すべてウソであったことがすぐに明らかになった。
吉田自身が後に「あれは小説」と語っている。
にもかかわらず朝日新聞がこの訂正記事を書いたのは32年後。

日本のサヨクが日本軍の旧悪を糾弾する動きを見た韓国は、
これは外交カードに使えるとみて、日本政府に抗議をはじめる。
戦後40年以上一度も抗議をしてこなかったのに。

サヨク系ジャーナリズムは、従軍慰安婦の証拠を必死になって集めようとした。
ところが懸命に探しても、現在まで証拠は全く見つかってない。

サヨクは「軍が証拠隠滅した」というが、軍は官僚システムで動く。
仮に民間業者に命じたとなれば、議事録、命令書、予算書、報告書、受領書、
請求書、領収書などおびただしい書類が必要。帳簿も大量に残っているはず。

軍は勝手にカネを動かせない。トラック1台動かすにも、いちいち書類が必要。
もし軍が直接行動したなら、慰安婦を狩るために動いた部隊、
実働人員、収容した施設、食料などを記載した書類など大量にあるはず。
それらがすべて煙のように消えてしまうなどありえない。

もしそんなことが可能なら、戦後に捕虜の処刑に関与したBC級戦犯が、
1000人以上も絞首刑になりえない。

それからもうひとつ知っておくべきこと。
戦時慰安婦の大半は日本人女性だった。朝鮮人女性は2割といわれている。

当時は日本も朝鮮も貧しかった。
貧困のなかで身を売らねばならなかった女性は、少なくなかった。
これが戦時慰安婦のすべてだ。

ところで日本中を騒がせた吉田清治(ペンネーム)は実に謎の多い男だ。
本名を吉田雄兎(ゆうと)という。1913年生まれ。山口県出身と本人はいう。

1930年から1970年までの経歴がいっさいわからない。
というのも彼が語る経歴を調べても、そこに吉田がいたという記録がどこにもない。
法政大学を出たと本人は自称しているが、在籍記録はない。

さらに奇妙なことに吉田雄兎は1937年24歳のとき、19歳の朝鮮人男性を養子にしている。
常識的に考えて、24歳の独身男性が19歳の男性を養子にするのは不自然。

さらに吉田が卒業したとされる門司市立商業高校の1931年卒業者名簿には、
「吉田雄兎 死亡」と記されている。生きてる人間を卒業生名簿に死亡と書くことは滅多にない。

そして52年後、死亡していた吉田雄兎は突如歴史に姿を現す。
「済州島で泣き叫ぶ朝鮮人女性を奴隷狩りのようにして慰安婦にした」という証言を引っさげて。

このミステリーはいったいなんなのか?
「背乗り(はいのり)」ではないかと言われている。
はいのりとは、ある人物の身分や戸籍を乗っ取り、その人物にすり替わること。
かつての旧ソ連のスパイや北朝鮮の情報員がよく使った手。

吉田雄兎は朝鮮人だったかもしれないといわれている。
養子にした19歳の男は朝鮮人の弟だったかもしれない。そう考えるとつじつまが合う。
自らがはいのりして、その後弟を養子にして日本人にする。

2016年夏「新潮45」で、吉田清治の長男へのインタビュー記事が出た。
吉田は全国の反日団体から招かれ、「朝鮮人を慰安婦にした、申し訳ない」と涙ながらに語り、
そのたびに謝礼をもらっていたそうだ。吉田は「職業的詐話師」だったのか。

朝日新聞の罪は重い。吉田清治はたんなる朝日新聞の傀儡の存在だったかもしれない。

吉田清治の長男は以下のように語っている。
「父が犯したねつ造で、吉田家の長男として、日本の皆様に大変申し訳なく思っています。
できることなら、世の中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい。
私自身なぜ父があのようなことをしたか、知りたいです」

このような声に、「朝日新聞」は何と答えるのか?




いつものように読書メモをと思いましたが、今回はここまでにしときます。
ネタの宝庫で付箋が10個もあったのですが。なんかお腹いっぱいになってしまった(笑)。



1つだけ本書からの読書メモを。
フランスの大作曲家ベルリオーズについて。

24歳のベルリオーズは、
パリに公演に来ていたイギリスのシェークスピア劇団の芝居を観て、
スミスソンという看板女優に一目惚れする。

ベルリオーズはスミスソンに情熱的な手紙を何通も送り面会を迫りますが、
相手は人気女優、一方は無名の音楽家、この恋は実りません。

ベルリオーズは自分をまったく相手にしないスミスソンに憎悪を抱き、
屈折した感情を注ぎ込み、「幻想交響曲」という名曲を書き上げる。

この曲は1人の若い音楽家がある女性に失恋し、
人生に絶望して、アヘンを飲んで自殺を図るが致死量に至らず、
瀕死の中で奇怪な幻想を見るというもの。

第五楽章では悪魔たちの饗宴の場に引きずり出された彼の前に、
自分をふった女性が現れて終わるという狂気に満ちた曲。

ベルリオーズはこの曲で大成功をおさめ、時代の寵児になります。
その2年後、スミスソンはパリで開かれた演奏会を訪れ、この曲を聴く。
彼女は演奏会のプログラムに書かれた文章を見て、聴衆に注目されたことで、
この曲のヒロインが自分であることを初めて知る。そして感動します。

何とその翌年2人は結婚。ベルリオーズは失恋体験を告白した交響曲をつくり、
成功と恋を2つとも手に入れたのです。

しかしこの結婚は続かず、7年後に別居します。
一説にはベルリオーズはスミスソンを愛したのではなく、
彼女が演じるシェークスピアのヒロインを愛したのだ、といわれています。

第五楽章をドゥダメルで。ドゥダメルは、
2012年グラミーのベストオーケストラパフォーマンス受賞。
2015年にはジョンスミスの指名でスターウォーズ/フォースの覚醒を演奏。
2017年ウイーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮。旬な指揮者です。



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